「遊びの中にある学びとは?」をさまざまな方にインタビュー
笠間 浩幸さんインタビュー
砂場には小さな職人・アーティスト・科学者たちが
あふれている
2017.3.22
同志社女子大学 現代社会学部現代こども学科教授
NPO法人 福島SAND-STORY代表理事
笠間 浩幸(かさま ひろゆき)
「子どもたちのために、砂場をありがとう」と声を大にして語る笠間浩幸さん。30年前、自身のお子さんの砂場遊びをきっかけに、砂場の持つ奥深い魅力にとり憑かれ、その研究をスタート。子どもたちにとって、砂場はどれほど自由で創造的な場所であるのか、どれほど多くの気付きと学びが潜んでいるのか。幼児期の子どもたちが砂場で遊ぶ風景を見続けてきた笠間さんの言葉に、子どもの成長に本当に必要な物とは何かに気づかされます。
「子どもの発見」から砂場は誕生
子どもは小さくて未完成な大人だった
幼児教育の歴史には、教え込み的な教育がありました。それこそムチで打って教え、鍛えるとか、そういうのが当たり前にあったのです。ヨーロッパの国々、たとえばイギリスなどでは、そのためのいいムチなんかが売られていて、「うちのムチは良いですよ」っていうような広告までありました(笑)。
子どもを子どもという、かけがえのない時間を生きている存在として見ることがなかったし、子どもというのは小さな、つまり”未完成”で、”力の足りない”大人であると見られていた。そして、子どもは不十分ながらも欠くことのできない労働力だったんですね。
子どもの歴史を知ると、現代とのあまりの違いに驚かされます。でもそれを知ることは、とても大事なことです。というのは、そんな歴史の中から、やがて子どものための遊び場や「砂場」が登場してくるわけで、だからこそ、その意義は大きいと思うのです。
砂場を研究するきっかけ
私が砂場の研究をはじめたきっかけは、3歳の娘と公園の砂場で遊んでいた時です。小学校1年生の女の子二人が「一緒に遊ぼう」と来てくれて、その子たちが「砂場の底ってどうなってるのかなぁ」と砂を掘りはじめたんですね。
なんだか、私も興味をもって、子どもといっしょに夢中になりました(笑)。そのうち、ガリっときたら、底の部分はコンクリートでした。「なるほど、砂場って、コンクリートの大きな入れ物になっているんだ」。不思議なことに、掘ってる途中の砂はヒンヤリしていたのに、底は熱い。つまり、地表の熱がコンクリートの壁をつたって底まで届いていたんです。
おもしろい! こんな砂場でも、時間と労力とお金をかけて、わざわざ子どものためにつくられている。いったい砂場を初めてつくった人は、どうしてこんなものをつくろうとしたのか。ぜひその人に 「子どもたちに砂場をつくってくれてありがとう」と言いたかった! そんなことから、砂場の歴史探しが始まったのです。
砂に触れた瞬間から遊びが始まる
当時は砂場に関する文献が少なくて、いろいろ探しながら、私なりに日本の砂場のルーツは、1885年のアメリカはボストンだと突き止めました。
荒れていたスラム街の子どもに居場所を提供しようと、空き地に砂場を作ったところ、いままで喧嘩や物を壊したりと、不健康な毎日を送っていた子どもたちが、そこで夢中になって遊びだし、ニコニコして帰っていったそうです。砂に足を踏み入れた瞬間、砂に触れた瞬間から、子どもたちはストレスを発散させていったのですね。
その後、砂場はニューヨークやシカゴなど全米中に広がり、やがて日本でも明治の後期から大正時代に一気に普及しました。
砂場を大事にした人は、子どもを大事にした人
砂場の歴史を探っていく中でいちばん感じたことは、砂場を大事にしてきた人たちっていうのは、みんな子どもを大事にした人なんですね。「大事にする」っていうのは、子どもが子どもとして生きる時間を大切にし、子どもが何をするのか、どんな行動をとるのか、それをしっかり見てあげること。つまり、子どもの自由な、自発的な活動である「遊び」を大事にするっていうこと。その象徴的なものの一つが砂場遊びだったのかなと思うんですね。
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