子どもの遊びや遊具、遊び場所に隠されている教え(教育的な意味)を知って、一緒の週末をもっともっと楽しもう!

内田 幸一さんインタビュー 森が教えてくれること

「遊びの中にある学びとは?」をさまざまな方にインタビュー

内田 幸一さんインタビュー
今日が楽しければ、明日も楽しい
子どもの人生の先回りをするより、今を大切に

2016.8.30
『森のようちえん』全国ネットワーク 運営委員長
内田 幸一(うちだ こういち)


1950年代、デンマークの一人のお母さんが森の中で保育を行ったのがルーツとされる『森のようちえん』。自然の環境の中で、できる限り子どもたちが自ら遊んで学ぶことを尊重する姿勢は、世界的な活動として広がり、日本でもここ数年で200か所以上の『森のようちえん』が誕生しています。「子どもに何かをさせるのではなく、自分からやることを大切にしたい」と語る内田幸一さんの言葉から、時代が求める新しい幼児教育の形が見えてきます。

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森が教えてくれること

大人にとっては当たり前のこと?

PHOTO:内田幸一

「生態系がどうの」というような自然科学的な知識を教え込むのは次のステップである小学校だと考えていますので、『森のようちえん』ではほとんど行いません。それでも、子どもたちはたくさんの知識を身につけていきます。

例えば、名前はわからない植物でも、食べられるものと食べられないもの、毒があるか、かぶれるか……など。そういう知識は相当量持ってますよ。自然の中で活動していることで覚えていくんです。

同じ燃えるものでも、どんな木が燃えるかも知っています。「乾いてる木や葉は燃えるけど、濡れ落ち葉は燃えないね」、「この木は湿っぽいから、この枝は燃えないね」だとかね。大人にとっては当たり前のような気がしますけど、“燃える”ということについても、いろいろな体験をするうちにわかっていきます。

遊びを通して、子どもたちはたくさんの事を学んでいく

湿ってる時の松ぼっくりはふさがってますよね。だけど乾いてるときは広がってるでしょ? 子どもたちは「雨が降った後の松ぼっくりは閉じてるし、でも天気が続いた時の松ぼっくりは開いてる」って、教えなくてもわかっていくんです。

草木を使った遊びをしてますからね。おままごと(のような遊び)に、葉っぱや草や花、枝、木の実などをたくさん使って、さらに水をくんできて泥んこと混ぜてみたり、「ここの場所は自分ちね。○○ちゃんちはあっちだよ」なんて言ってお家ごっこしたり、お店やさんごっこしたり……。そういう遊びを通して、子どもたちはたくさんの事を学んでます。

木に登る子もいれば、ぶら下がる子もいる。川があれば、川で遊ぶ。こういうことは、頻繁にやっています。積極的にそういった所に連れ出して、その場所で子どもたちが自分で遊びを見つけだしていく。

PHOTO:内田幸一

ひとつの行動が次の行動へと展開していく

自然の中ですから、さまざまことが起こります。基本的には、偶発的なものに出会って、それに触発されて次の行動が始まっていくというスタイルで、その行動がまた次の行動へと展開していく感じです。

子どもの裁量権といいますか、自分でいろいろ思いついたものを具現化していくことに任せています。子どもたちには今日のスケジュールみたいなものを押し付けませんから、遊びに展開していくか、友だちを誘って何かやるかは子どもたち次第です。

そういう能力を伸ばそうとしているのが『森のようちえん』と考えていただければよいと思います。何はともあれ自然の中に出かけて行って、「おもしろい所見つけた!」「あー、大きな水たまりがある!」「木の実がいっぱい落ちてる!」みたいな発見から始まって、それから次の発想をしていく。

穏やかにスタートし、深いところにはまる

先生たちは、子どもたちの主体性を見守るというのが基本です。うるさい事は言わずに、お昼の時間や戻る時間といった一日の活動スケジュールを大ざっぱにやってるくらいです。

自然環境は危険なことが多いんじゃないかと思われるようですが、むしろ安全です。例えば、スズメバチのような事前にわかる危険やその場所が持つ危険については、先生はもちろん把握してますし、近づかないように考えてます。その日だけ行くわけじゃないので。

自然とあまり縁がなかった子どもたちは、最初は穏やかな場所からのスタートです。少しずつ自然に慣れていって、ちょっとした危険に対処する準備も気持ちの準備もできてきたら、ゆっくりとハードなコースに移行していきます。(自然の)深いところへはまっていく感じでしょうか(笑)。

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PHOTO:内田幸一

大人が介入すればするほど、子どもは考えなくなる

あとは、子どもたちが勝手に動きだしたら、大人は余計なことは言わない。子どもたちが、“巻き起こしてる”というか“遊びを展開している”主人公になっていれば、そこに大人が介入する必要はない。

子ども同士で多少のトラブルがあっても、彼らがどうやって解決していくのか、危険が及ばない限りは見守っています。トラブルを大きくしてしまう子がいたかと思うと、両方の言い分を聞いてジャッジにまわる子もでてくる。決裂することだってある。いろんな事があって、子どもは自分で学んでいく。そりゃあ、調整力もついていきますね(笑)。

賢くない子を育てるなら、大人が介入して「○○ちゃんに謝りましょう」ってやればいいんですが(笑)、それでは彼らはぜんぜん考えたことになりません。介入すればするほど、子どもはそこにあぐらをかいて、考えなくなるんです。

ちゃんとした意見に必然的に落ち着いていく

保育する側として、“見守る”ってことは、子どもの育ちの部分も見ていかなければなりません。今、目の前で子どもたちが巻き起こしてることは、“育ち”にどうつながっていくだろうかと、つねに考えています。

いろんな様子が見えてきますよ。人に対して穏やかな子、親切な子、自分を中心にする子、周りの子をうまく使う子(笑)、そういうものをしっかり見ておく必要があるんです。良いとか悪いとかをその場で決めつけるようなことは、『森のようちえん』ではほとんどしません。

気になったことがあったら、朝の会や終わりの会で少し話題にして、みんなに考えてもらうんです。結論ありきで押し付けるのではなく、「こういう時はどうしたらいいんだろうね?」みたいな感じです。

みんないろんな意見を出してきますが、不思議なもので、いちばんちゃんとした意見を言った人の考えに、必然的に落ち着いていくんです。保育者が入らなくても、「じゃ、これからは、みんなそういう風にしようか」ってなっていくんです。

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