「遊びの中にある学びとは?」をさまざまな方にインタビュー
天野秀昭さんインタビュー後編
遊ばないと、心が死んでしまう
子どもにとって「遊び」は「魂の活動」
2015.11.17
日本冒険遊び場づくり協会 事務局長/理事(取材当時)
天野 秀昭(あまのひであき)
大人が変われば、子どもも変わる
放っておけば、子ども同士のコミュニケーションが生まれる
僕は子育てしてるとき、たまに普通の公園に行ったけど、砂場では「これはあなたのじゃないでしょ!『貸して』って言いなさい」みたいなこと言ってる親によく出くわした。それぞれが持ってきた砂場道具を取ったりするじゃない、子ども同士って。そこに大人が割り込んで入ってくる。
さっき話したように、子どもたちは放っておけば、取り合いながらワーワーやって、そのうち自然に貸し借りするようになるのに。わかってはいても、ほかの親の手前、こっちも大人として何も言わないのも心苦しくてね(笑)。だから、僕はゴミ袋の中にいろんな道具をいっぱい入れて、砂場にバーンとまいたことがある。
つまり、自分の子どもの分だけもっていくから問題が起きる。いろんな物がいっぱいあれば、ほかの子の親が「ちゃんと『貸して』っていいなさい!」って言っても、「いいえ、ウチの子だけじゃ、ぜんぜん使えないからだいじょうぶですよ。好きなように使ってください」って言える。相手も「えっ、いいんですかぁ」みたいな感じになる。
そうすると、結果的に砂場で主導権が取れるんです。つまり、「いや、ホントは取りっこなんてしたっていいんですよ。取りっこの中から、子ども同士のコミュニケーションが育まれるって、僕は思ってるんです」って、こっち側が言えるわけ(笑)。おもしろいもので、そう言うと「私もそう思っているんです」って、わりと同じように思ってる親が多い。
親の分断は子ども同士の分断につながる
たぶんかなりの親が、じつは「子どものそんなことぐらい、放っておけばいい」と思っている。同じ感覚を持っている親だってことがわかってくると、親同士にも仲間が発見できるじゃない? で、子ども同士が取りっこしても、今度は見てられる。
子どもたちの間に入ってくる親の本音は、「ほかの親の手前、ウチの子をしからないと気まずい」でしょ? 子どものしつけのフリをしてるけどね(笑)。親がそんなだと、子ども同士の関係にも影響してくる。親が分断されてる関係だから、子ども同士も分断される。
だから、「ウチの子に友だちがほしい」なんて言ってる場合じゃなくて、ホントは「あなたが、まず友だちつくりなさい」なんです。親が仲間をちゃんとつくれないから、子どももちゃんと作れない。
大人が子どもの育つ環境を奪い続けている
子どもの問題なんて、ホントはそんなにない。子どもの中に生まれる問題は、ほとんどが大人の問題。遊育できる環境をつくれないのも大人の問題。子どもの問題じゃない。子どもは、もともと遊ぶ力を持ってるからね。
何度も言うけど、子どもの発達や成長は、環境さえよければ、あの子たちは自分で取ることができる。遊育する力は生まれ持って備わっている。だから、勝手にハイハイしだすし、勝手に立ち上がる。
「ハイハイの仕方はこうだよ」なんて、大人は教えてないでしょ? 生きる力ってそういうものだし、その力が、遊育のベースなんです。自分の限界に挑戦し続け、自分が「やりたい」って思ってやっていく。
だから、遊育の環境さえ保障されていれば、子どもはしっかりと育つ。でも、大人がその環境を奪い続けていることをわかってない。大人になった今の自分に、子どもの頃の記憶をたどってほしいね。まず、遊育してる世界を思い出すんじゃないかな。
子どもを変えるより、まずは自分自身が変わる
せめても親としてできることは、最低、遊んでる子どものじゃまをしないこと。だけど、わが子だとどうしても口を出したくなるから、現実的に考えれば、大人同士が「ウチの子、だれか見て。私、別の子見るから」という関係をつくれればいちばんいい。
その関係ができると仲間ができるし、自分の親子関係も煮詰まらない。そうすると、子どもがやれることもグッと増える。子どもを変えようとするんじゃなくて、「自分自身が変わりなさいよ」ってことです。で、なるべくお金をかけるんじゃなくて、手間をかけること。
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