「遊びの中にある学びとは?」をさまざまな方にインタビュー
天野秀昭さんインタビュー前編
遊ばないと、心が死んでしまう
子どもにとって「遊び」は「魂の活動」
2015.11.17
日本冒険遊び場づくり協会 事務局長/理事(取材当時)
天野 秀昭(あまのひであき)
ひとり遊びと集団遊び
もっとおもしろいと感じれば、いろんな子と遊ぶようになる
「自分の子どもはみんなと遊ばずに、ぜんぜん違うことを一人でやってる」って話を耳にする。でも、一緒に遊べないんではなくて、やりたいことが違うだけ。集団遊びする力がないのかと心配する親もいるだろうけど、遊ぶっていう行為はそもそも自分の内側から湧いてくる以上、一人からはじまっている。一人で遊ぶってことが十分に補償されて、はじめて世界が広がっていくわけです。
例えば基地づくり。自分だけの秘密の居場所って考えれば、あくまで一人。だけど、何人かでつくると、みんなと共有する秘密の世界になる。そうすると、一人で作るのも楽しいけど、みんなと作って秘密を共有するドキドキ感を味わう。で、「みんなと一緒って、おもしろいな」ってことにもなる。
一人じゃできないけど、もっとおもしろいと感じる世界に出あったとき、はじめていろんな子と遊ぶようになっていくと思う。砂場に山をつくって、こっちから掘って、するとあっちから掘ってきた子と手と手が出あう。あの感動は一人じゃ得られない。そういう感動と出あったのをきっかけに、一緒に何か掘りはじめるようになるんです。
世界が広がれば、異質な人間関係を超えていく力が生まれる
人間と人間なんてもともと異質だから、本質的には結構「うっとうしい」ところがあると思う。自分一人なら好きなようにできるけど、人とやるとめんどう臭いじゃないですか(笑)? 意見は違うし、思うとおりにならないし….。でも、自分だけでやるよりも自分の世界が広がるし、自分だけでは発見できないことが発見できるし、何より、一人ではできないことが、力をあわせると、3倍にも4倍にもなっていく。
例えば基地をつくるのに、一人は壁を押さえていて、一人はクギを打つ。一人では、壁を押さえてクギを打てないわけだから、他の子がいればぜんぜん違うものができますよね? 力をあわせると、自分だけではできない世界が広がっていく体験ができるんです。
もちろん、楽しいってことが絶対前提。「誰かとやると、もっと世界が広がって楽しい」って感じることができれば、その時、異質な人間関係を超えていく力が生まれて、うっとうしさを超えられるんだと思う。
「仲良くしなきゃダメでしょ」っていう大人の正論では、その力は湧いてこない。うっとうしさの方が、どうしても勝ってしまう。「自分の世界を表現したいけど、こいつらと一緒にいるとできない」という想いの方が上回ると、人間関係をつくる力っていうのが湧いてこない。
コミュニケーションする力は、遊びをとおしてでないと育たない
自分の世界をきちんと保ちながら、他人という異質なものと出会って、そこでまったく異質な世界が誕生して、おもしろさや喜びみたいなものを感じていく。人間どうしのコミュニケーション能力が高まっていく「素地」は、そこから生まれるんだと思う。
他人といれば、ぶつかることもある。そこで、関係を修復してやり直すっていうのは、ぶつかっていくパワー、つまりイヤな思いを超える喜びがないと向かえない。「ごめんね」なんて謝るのもイヤだし、もう二度と近寄らなければそれで済んでしまうのに、でもやっぱりそれを超えて行く喜びがどこかで予感されるから修復するわけだよね。
コミュニケーションの大切さは大人が言葉で教えられるけど、コミュニケーションする力は遊びを通じてでないと育たないと僕は思ってる。
喜びとか楽しさは人を前に進める原動力なわけで、それを遊びから知ることができるし、遊ぶという行為の中には全部含まれている。僕の言う遊びは、本人が自らやってみたいと思ってることは、その人にとっては全部遊びだと思っているから、かなり範囲が広いかもしれない。
やりたいことがあるっていうのは、とにかくものすごいエネルギー。「ごめんね」みたいなやりたくないことをやらなくていいのではなくて、そこには、やりたくないことも乗り越える力も全部含まれてる。
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